
私が外食産業に携わるようになったのは、高校1年生の冬休みに経験した飲食店でのアルバイトがきっかけでした。 当時――バブル最後の1年と呼ばれたその年、店は大繁盛でした。しかし、お客様にお出している料理といえば、ろくに料理もしたことがない私が何の教育もされないままに、適当にお出しているひどいものでした。当時の私は恥ずかしさで、お客様のお顔をまともに見ることが出来ませんでした。「もっと、ちゃんとした料理が作れるようになれれば…」と考えましたが、高校生だった私はまだ具体的に店を出すという目標もなく、進学することにしました。
しかし、そこで世間はバブルの崩壊を迎え、父の鉄工所は倒産。無職になってしまった父を頼ることは出来ず、自力で学費を払うために必死でアルバイトをしました。けれども働くばかりの毎日に疲れ、満足に学校へ通うことも出来なくなり、やがて学費のためのアルバイト三昧に虚しさを感じるようになりました。「……自分で働いたお金を資金に、自分のお店を出せないだろうか?」そんな時、飲食店アルバイトでの苦い経験を思い出し、学校を中退して飲食店業で独立することを決意したのです。その後は毎日料理の腕を磨くとともに、開業資金を作るため朝の10時〜17時まで和食店、17時半〜23時まではやきとり店、0時〜朝の5時まではラウンジのボーイとして休みなく働き、ひと月に20万円と言う驚異的なスピードでお金を貯めていきました。これが国民金融公庫にも認められ、23歳の時に布施で10坪18席のお店を持つことが出来ました。記念すべき『鶏鳥Kitchenゆう』1号店です。
お店は徐々に繁盛していき、順調に売上も伸ばしていきましたが、ある日突然スタッフがお店に来なくなってしまったのです。
仕方なく母とふたりでお店の営業を続けましたが、出来ることが自分ひとりの力だけでは限られているため、お店を開店していても結局カウンターの8席しか使えませんでした。ものすごく悔しい思いをしましたが、よくよく今までの自分の行動や、スタッフに対する接し方を振り返ってみれば、こんなことになってしまったのは当然の結果だと考えました。
猛省し、後日スタッフに「心を入れ替えるので、もう一度店に戻って来て欲しい」と謝罪をしました。
スタッフは私の気持ちを受け入れ、店に戻って来てくれました。この経験から、スタッフが楽しく働けるような環境を作っていかなければ何事も立ち行かなくなると、強く思ったのでした。
その後も、新しいお店を出し、新しいスタッフが入る度に様々な問題が起こりました。けれど、その度に解決のために努力を重ね、スタッフと一緒に問題を乗り越えて来たからこそ、設立から9年で直営10店舗、プロデュース7店舗と年々成長して来れたのです。
今なぜ店を増やすんですか?と聞かれれば、「人を育てるため」と堂々とこたえます。店が増えることにより新しくポジションが出来るので、スタッフも会社もお互い成長し続けていけると信じています。
経営者と従業員は仕事に対する意識が違います。自分のためと思えばつらい仕事も楽しくなる――そんな経営者の楽しさをスタッフにも知ってもらうため、意欲のある人間を経営者に出来るシステムを考え、試行錯誤しながら新しい独立支援制度を作り上げてきました。 当社の場合、自分は必ず独立開業するんだというイメージを明確に持っていて、それを達成するためにはどんな苦労も厭わない強い意志があれば、最短2年でこのシステムを利用することが出来ます。
ひとりでも多くのスタッフを、経営者と言うスタート地点に立たせること。それが今の私自身の最大の仕事だと考えています。
株式会社ユウ・フード・サービス__
代表取締役 谷 祐一郎__